私の中の若冲(1)気骨ある社会派 狩野博幸さん《上》

媒体掲載記事

2019年02月13日

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私の中の若冲(1)気骨ある社会派 狩野博幸さん《上》

 自由自在、独創的な作品で多くの人を引き付ける画家、伊藤若冲(じゃくちゅう)(1716~1800年)。「東日本大震災復興祈念伊藤若冲展」(3月26日~5月6日、福島市・県立美術館)を前に、研究者や著名人に若冲の作品、人物像を聞く。

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 絵の「オタク」ではなく「社会の問題に取り組む人物だった」と、新たに分かってきた若冲像について語る狩野さん

 展覧会の企画監修を務める京都国立博物館名誉館員の狩野博幸さんは「大金持ちのセレブでありながら、当時の社会問題に敏感な、強い心を持った人物だった」と、気骨ある人間・若冲像を語る。

 大阪府豊中市の西福寺にある襖(ふすま)画「蓮池図(れんちず)」。枯れた植物などの荒涼たる風景の中に、いくつかの若いつぼみが描かれている。「これは京都の再生を願った風景だ」。若冲が作品に込めた思いに狩野さんが気付いたのは、東日本大震災発生直後、2011(平成23)年3月のことだった。

 実は狩野さん、震災の1週間前に仕事で本県を訪れていた。その帰りに浜通りの海岸近くの道も通った。「もし1週間遅く訪れていたら、自分も被災していたかもしれない」。連絡が取れない知人もいて、ひどく気分が落ち込んでいた震災直後、テレビの収録の仕事で蓮池図を見た。

 蓮池図が描かれる直前の1788年、地元京都で「天明の大火」と呼ばれる未曽有の災害が発生し、若冲は大坂に避難していた。狩野さんはその時、何度も見ているその絵が、京都の復興を祈って描かれたことに初めて気付いた。東日本大震災の経験を経て、新たな若冲像が見つかった瞬間だった。

 社会の出来事には一切興味がない、いわゆる絵の「オタク」―。かつて語られていたそんな芸術家若冲像は間違いであると、次第に分かってきた。

 京都の錦小路の青物問屋の4代目。果物や野菜を扱う大元締だった。通常の画家にはそろえられないような高価な画材で作品制作に当たった。その一方で、その錦小路が存続の危機に立たされる問題が発生した時は、身を犠牲にして錦小路の市場存続運動に取り組んだことが、近年の研究で判明した。

 「熱心に社会の問題に取り組むような人物だった。天明の大火の際は、地元京都の復興のため芸術家としてできることをしたいと思っただろう」  「社会派のセレブ」。そんな若冲像が浮かび上がってくる。


 かの・ひろゆき 福岡県生まれ。九州大大学院文学研究科を経て、京都国立博物館勤務、同志社大教授などを歴任。2000(平成12)年、京都国立博物館時代に「没後200年伊藤若冲展」を企画し若冲ブームの火付け役となった。京都国立博物館名誉館員、東日本大震災復興祈念伊藤若冲展企画監修者。71歳。

(2019年2月4日 福島民友新聞掲載)

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