若冲が願った復興

若冲が願った復興

若冲が願った復興

伊藤若冲は正徳6年(1716)に、京の中心地にある錦小路の青物問屋の長男として生まれた。

本格的に絵を学び始めたのは二十代の後半だと考えられており、隠居して画道に専念するようになったのが四十歳である。
若冲の境遇が一変したのは、晩年、天明八年(1788)正月におこった京都大火である。

「天明の大火」と人々の口の端にのぼったこの火事により、京の市街地はほとんど焼失。若冲は家もアトリエも失った。焼け出された若冲が大阪方面に避難したらしいことは、大阪府豊中市にある西福寺襖絵のこともあって想像はされていた。

若冲の画歴の後期を代表するのは、西福寺の襖絵。その裏面に貼られていた「蓮池図」は若冲そのときの制作と考えられている。

それまで、寺院の本堂に「蓮池図」が描かれることはしばしばあるが、その場合は緑青や白緑を使った着色画がほとんどで、このような水墨画は非常に珍しい。

「蓮池図」は一本の枯れた蓮(はす)が目を引く寂寥感(せきりょうかん)の漂う作品だが、2011年3月11日のー週間後に改めて実際にこの絵を見たとき、枯れた蓮のわきに白いつぼみがぽっと浮かんでいるのに気がついた。

「このつぼみに意味がある。若冲は京都の復興を願っていたんだ」と感じさせる。

今回の展覧会を企画するにあたり、若冲が願った復興について考えてみたい。

本展監修者:狩野博幸
(京都国立博物館名誉館員、元同志社大学文化情報学部教授、近世日本美術史家)